韮崎市の概要
韮崎市は、山梨県内の北部に位置し、南アルプス、八ケ岳、奥秩父山系に囲まれ、南に富士山を望む山紫水明の地です。これらの山岳から無数の河川が清流となり、釜無川・塩川に注いでいます。古くは甲州街道の宿場町として栄え、武田氏発祥・終焉の地であり、歴史に彩られた「武田の里」として有名です。また、サッカーフェスティバルが開催されるなど、スポーツも盛んな「サッカーのまち」でもあります。ぶどう、桃、りんご、さくらんぼなどの果実や、それらの農産物を加工したワインなど、自然豊かな特産品が多数あります。
韮崎のあゆみ
穂坂町三ツ沢遺跡、藤井町坂井遺跡から縄文式・弥生式土器が多数発掘されており、韮崎には4〜5千年前頃から文化をもった先住民族が住んでいたと考えられています。11世紀頃、甲斐源氏の祖義光・義清・清光と、一子相伝されていた甲斐源氏の統領は、清光の子で韮崎を拠点にしていた武田信義に引き継がれ、鎌倉・室町期を通じて武田氏が甲斐守護職として実権を握っていました。しかし名君武田信玄公没後は、その子勝頼が長篠の戦いに敗れるなどして、武田の歴史は終わりました。
江戸時代には、韮崎は徳川幕府の直轄地となりました。静岡より川船が通じるようになってからは産業が発達し、寛政6年(1794年)までの約40年間、巨摩郡の政治・経済の中心地となりました。
明治以降は、廃藩置県・郡界制定・町村制施行などにより名称は幾度も変更されてきましたが、昭和29年(1954年)、町村合併して韮崎市となり、恵まれた自然環境や交通の利便性を背景に、半導体製造装置などの先端産業や優良企業が立地するようになりました。「感性豊かな躍動都市にらさき」を目指し、簡素で効率的な行財政運営を進めています。
韮崎の名前の由来
韮崎という地名は、「八ヶ岳の火砕流の両側が、釜無川と塩川に削られ、細長く鋭く尖った"韮の葉"のようになっており、その先(崎)にこの地域があること」に由来するといわれています。
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| 韮崎の歴史についてもっと詳しく知りたい人はこちら↓ |
韮崎市民俗資料館 |
| 住所: |
〒407-0004
山梨県韮崎市藤井町南下條786-3 [地図を見る] |
| 電話番号: |
0551-22-1696 |
| 開館時間: |
9:00〜16:30 |
| 休館日: |
月曜日、木曜日の午前中、祝日の翌日、12月29日〜1月3日 |
| 入館料: |
無料 |
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